美男美女の犯罪者はいるのか ~「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」を読んで~

ダン・アリエリー教授が著した『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』という本を読みました。

ダン・アリエリー教授というのは『予想通りに不合理』という本で有名な行動経済学者の先生で、我々は自分たちの行動を必ずしも合理的に決定しているわけではないという『予想通りに不合理』の研究の内容を話したTEDの講演で有名らしいです。

そんなダン・アリエリー教授が、「不正行為はなぜ起こるのか/どのようなときに起きるのか」という興味深いテーマについて研究結果をまとめているのが本書。

これまでの経済学では、人間の不正行為の原因として「シンプルな合理的犯罪モデル(Simple Model of Rational Crime = SMORC)」という理論が支配的でした。この理論はゲリー・ベッカーというノーベル経済学賞を受賞したど偉い先生が提唱した説で、「不正をした場合に想定される利益が、不正をしなかった場合の利益を上回る場合に人は不正行為を行う」という名前通りの単純なモデルでした。

まさに、人間は合理的に判断を行う存在だ、という前提に基づくような説ですが、ダン・アリエリー教授はSMORC理論に疑問を抱きます。

ちょっとした思考実験をしてもらいたい。もしだれもがSMORCに厳密に従い費用と便益だけを考えて行動したら、いったいどんな毎日になるだろう?

もしわたしたちが純然たるSMORCの世界に住んでいるなら、あらゆる決定について費用便益を行い、最も合理的に思われることをするはずだ。感情や信頼をもとに決定を下さ宇ことがないから、たぶん職場を一分離れるときも、財布を引き出しにしまいこむだろう。お金はマットレスの下にたくし込むか、隠し金庫に入れてしっかりカギをかける。休暇で家を留守にするときも、ものを盗られるといけないから、お隣さんに郵便物の取り込みを頼むのはやめておく。(……略……)わたしたちが、完全に合理的で私利だけを考えて行動する人ほどには不正や盗みをはらたかないことがこの思考実験からわかるだろう

不正行為が合理的である、というSMORC理論のほうが自分たちの通念からしてみればどちらかというと逆説的なのかもしれません。確かに、SMORC理論には少し無理があります。となると、人を不正やごまかしに導くのは何なのでしょうか。

……というのが本書の研究のスタート地点。ダン・アリエリー教授は学生に対して報酬付きの実験に参加してもらうことで意図的に不正の起こりうる状態を作り上げます。

実験の詳細と結果については、本を読んでもらえばいいとして、自分が読んで興味深いと思ったのは、不正行為には正当化というプロセスが含まれているということです。

例えば、ダイエットをしている人が、一日一生懸命働いた後に、偶然ケーキ屋さんの前を通ってしまい、我慢していた甘いものをお腹いっぱい食べてまった状況について考えてみましょう。

痩せたいと思っている人にとってケーキをお腹いっぱい食べることは目標に対する一種の不正行為なのですが、それを行った人は必ず「あの時は疲れていたから」という理由をつけて不正行為に対する正当化を行います。この正当化ができない条件では人はあまり不正行為をしなくなります。

本の中ではそこまでしか書かれていませんが、正当化というプロセスは心の防衛反応なのだと思います。単に悪いことをしたままだと自分が悪人になってしまいますからね。悪人だと思って暮らすのは居心地が悪いでしょう。「疲れていたから」「一度だけだから」「みんなやっているから」、それらしい理由を後付けすることによって悪い行為とそれを行った自分の間に大きな壁を作るのです。

その正当化の理由の最たるものが「被害者意識」や「劣等感」だと思うのです。つまり、「俺も不正行為されたから、やり返してもいいだろう」とか「どうせ俺なんかまともなことやってもしょうがないから、ずるするしかない」とか。

作家の筒井康隆先生のエッセイ集『やつあたり文化論』の中に「二枚目意識と道徳」というタイトルの文章があります。

道徳観念や礼儀の欠乏、あるいは前期の、公然包皮のごとき居直りは、いったい何に由来するのだろう。(……略……)道徳や礼儀を身に着けているかいないかはふつう誰もがそう思っているように、仮定とか学校の躾によるものではない、とぼくは思うのだ。(……略……)教養だって役に立っていないと思う。(……略……)では一体何に由来するかというと、ぼくは本人の二枚目意識だと思うのである。

道徳的であるかどうかは自分のことを二枚目だと思っているかどうかに関係している、という大胆な論で、結構昔に読んだとき、「なるほどそうかもな」と膝を打ったのを覚えています。

だって、そうじゃないですか。僕が人生の中で出会ってきた美男子や美女って軒並み礼儀正しいし、立派な方たちでした。まぁ、「姿かたちがいい」という特徴によってほかの特徴も上方修正されて感じられてしまう(ハロー効果)ためなのかもしれませんが……

ただし、筒井康隆先生も論考の中で言及していますが、重要なのは「二枚目であるか」ではなく「自分を二枚目だと思っているか」という点。要するに、実際にイケメンであるかどうかは関係なく、自分がイケメンであるとみられていると思っているかということに関連しているということ。イケメンではなくとも礼儀正しい人っていますよね(失礼)。そういう人って、ちょっとナルシストっぽくないですか(かなり失礼)。

筒井先生の論を少し拡大して自分なりに考えてみると、道徳規範を遵守する傾向と関連しているのって、自尊感情だと思うんですよね。「仕事ができる」とか「優しい」とか周りから好印象を持たれている人って、自分の中にもその自覚があるから、悪いことをしにくい。なぜしにくいかというと、正当化ができないから。「仕事ができる人間が、道端にごみをポイ捨てするはずはない」とか「優しい人間が、他人を殴ったりしない」とか、自分のアイデンティティーが失われるようなことを人はしないんじゃないかと思うのです。

とするならば、不正行為を減らすためには自分自身に対する敬意の念を各々にはぐくませることが重要なわけです。立派な人間はせこいことしませんからね。

誠実な人間であるために、自分を好きになりましょう!

……なんか、すごく平凡な結論になっちゃいました。「ずる――嘘とごまかしの行動経済学」。「どのような条件下で人は不正を行うのか、どのくらい不正を行うのか」について興味深い実験の結果が盛りだくさんな一冊です!