『認知バイアス事典』の紹介その②

どうもshigoroxです。

このシリーズ、俺の中では第2回で早くもエタりそうな予感がしています。どんだけ飽きっぽいんだ、俺

循環論法

 

何かを証明したいとき、結論となる部分を前提として用いるようなことを循環論法といいます。

ものすごく単純な循環論法は「この部屋は閉ざされている」「なぜなら密室だからだ」というような言葉遊びのような形になりますが、様々な前提を用いて、A=Aであることを回りくどくいうことで、議論が循環していることをそれとなく隠すことができます。

前に紹介した多義の誤謬によるものに近いかもしれません。

滑りやすい坂論法

もともとは道徳や倫理の議論でつかわれていたものらしいです。何かに手を出したことがきっかけで、どんどんその傾向がエスカレートしていく……というありがちな現象を逆手にとった論証の方法だそうです。

例えば、「車に乗ると、交通事故に巻き込まれる可能性が高くなる。交通事故が起きると賠償金を支払わなくてはいけなかったり、怪我をしたりすることがある。怪我をよく折ったり、賠償金を払っていると生活が成り立たなくなる。ゆえに車には乗るべきではない」……みたいな感じでしょうか。

初めの一歩がだんだんエスカレートしていく、という過程をもとに、最初の前提からは到底想像できないような極端な結論を導き出すことによって、前提となっていた行為の正当性を貶める、という寸法です。

何となく受け入れやすい議論ですし、自分もついついしがちな論法かもしれません。

この論法の穴となっているのは、前提とそこから導き出される途中経過の間に必然的なつながりがないことだそうです。上の例でいうと、車に乗ると交通事故に巻き込まれることがあるのは受け入れやすい前提だと思いますが、そこから「必ず交通事故が起きる」という極端な仮定に基づいて賠償金や怪我の話になるのがおかしな点です。

車に乗っていても交通事故に巻き込まれずに普通に生活している人は多いですし、むしろそちらの方々のほうが多いわけですから、↑の論証は極端なわけです。

早まった一般化

自分的には早まった一般化というより過度な一般化といったほうがしっくりきます。少数の例に基づいて、その少数を含む大きなグループすべてに少数の特徴を当てはめてしまうことです。

例えば、ある会社に勤めている人3人に遅刻癖があったとしましょう。遅刻癖のある人3人しか知らない人にとっては、その会社に勤務している人全員が遅刻しているように見えるかもしれません。なので、「あの会社は時間を守らない人ばかりだ」というかもしれません。

しかし、遅刻しているのは100人中たったの3人だけかもしれません。その場合、「時間を守らない人ばかりだ」という結論は成り立たないことになってしまいます。

全体の中で、ある特徴を持った人がどれくらいいるのか、ということを知らないためにこのような誤りに陥ってしまいます。自分の知っている小さな世界に閉じこもらないことが重要ですね。

今日はここまで。せめて3日坊主ぐらいは目指して見せます。