働けど働けどなお、わがくらし楽にならざりけり。じっと手を見る。

っていった石川啄木は26歳で死んじゃったんですって。わお、今の俺とためじゃん。

どうもshigoroxです。

教科書に載ってたこの詩。自分は好きです。昔から仕事って辛かったんだなぁって不毛な気持ちになります。

……なりますが、よくよく考えてみたら啄木って詩人ですよね。詩人が「働けど働けど」ってなんかおかしくないですか。汗水たらすようなイメージの職業じゃないです。

Ishikawa Takuboku.jpg

うーん、きれいなお顔。こいつは農民じゃねぇ!

調べてみると、お寺の息子さんみたいです。

さて、そんな啄木の残した歌ですが、大人になった啄木が歌の通りにひもじい生活を送っていたのかというと、半分あたりで半分外れみたいです。

啄木は岩手県の生まれで、盛岡中学(おそらく現在の教育課程だと中~高校に当たる)を退学して歌人の道を選びます。

退学の引き金となったのはテストのカンニング。隣の優等生にテストの回答見せてと頼んで見せてもらおうとしたら、それがばれてしまったそうです。

それが原因となって中学にまで通えていた啄木のエリート人生は崩壊。といっても魔が差してカンニングをしたのではなく、常習犯だったみたいで、ついでに素行も悪く、授業には欠席しがちだったといいます。現代でいう真面目系クズですね。いや、真面目要素ないか。

学び舎を追い出された啄木はめげずに上京。働き口を見つけようと頑張るも、生まれつき病弱だったのが祟ってダウン。心配された父により故郷に強制送還されます。

その後、お父さんが住職の免許をはく奪されて石川一家は路頭に迷うことになります。

なるほど、啄木はこれをきっかけに更生の道を歩むのか、と思いきや彼は全く変わりません。

幸運にも渋民尋常小学校の代用教員の職を得た彼は『渋民日記』という手記の中で「余は日本一の代用教員である」と豪語します。問題の部分はこちら

余は余の理想の教育者である。余は日本一の代用教員である。これ位うれしい事はない。又これ位うらめしい事もない。
 余は遂に詩人だ、そして詩人のみが真の教育者である。
 児童は皆余のいふ通りになる。就中たのしいのは、今迄精神に異状ありとまで見えた一悪童が、今や日一日に自分のいふ通りになつて来たことである。教授上に於ては、先ず手初めに修身算術作文の三科に自己流の教授法を試みて居る。文部省の規定した教授細目は「教育の仮面」にすぎぬのだ。

現代文に翻訳してあげると以下の通りです。

「俺は最強の(代理)教師だ! やったぜ。お前らうらやましいだろ。そのうえ、俺は歌も歌えるんだぜ? やっぱ教育者は詩でも作れねぇとな! ガキどもはみんな俺のいいなりさ。悪ガキだって俺の手にかかれば思いのままだ。俺が編み出した道徳さんすうこくごの教え方は最強だぜ。ほんと文科省の指導要領はクソだな!」

自画自賛の後に、小学生にマウントを取りはじめ、最後に文部省の指導要領に文句を垂れ流す代用教員。小物っぽさのロイヤルストレートフラッシュですね。

takubokudiary.higoyomi.com

 

『渋民日記』の随所には啄木の高慢で、不遜な記述が随所に見られます。また、自身の健康状態に関する記述も多く、卑屈な感じもします。

日本一の代用教員の啄木はなぜか正規の教員になることができないまま職を離れ、北海道に行きます。新聞記者や東京での校正の仕事を転々としながら、貧しい日々を過ごします。

……このように書くと、貧しくてかわいそうな感じもしますが、こいつの仕事はほぼ1年も続いていません。しかも、総じて勤務態度が悪い。働けど……とか言ってますが、啄木に関していえば、働かないためにお金がたまらないのに手を見て「?」マークを浮かべている馬鹿です。

調べれば調べるほど、彼の人間性について疑問が生じてきます。

極めつけは、彼の残したこの歌。彼は友人知人から借金をして生活を乗り切っているときが多く、しかも借りたお金を女遊びに使うというどうしようもない人間なのですが、プライドの高さゆえか他人にへつらうことは嫌いのようで

「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」

「意訳:ぶっちゃけ、一度でも俺に頭を下げさせた連中に対しては死ねと祈ったことがあるんだよなぁ」

結局こいつは26という若さでで死にました。もし、病気が治っていたとしても長生きすることはなかったと思われます。