寝そべり族の仲間入りをしたい

どうもshigoroxです。

どうやら今、中国では寝そべり族なる若者が増えているようです。

中国の若者に広がる「寝そべり族」 向上心がなく消費もしない寝そべっているだけの人生(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

とにかく贅沢をせず、ただ寝そべって生活。家も車も恋愛もしない無欲な生活を続ける人々のことを言うらしいです。

記事では「社会問題」となっている、と書かれており中国当局もこういった価値観に対して危機感を抱いているらしいですが、「問題」というより「あるべき姿に戻った」というべきではないでしょうか。

だって、食事に困らなければせっせと働く必要なんてないんですから。実際、寝そべり族の教祖的存在として記事で挙げられている人物(「躺平学大師」と称されているのだそう)は1日2食、月の生活費を200元(1元20円だと考えると4000円!)に抑えることによって、1年のうち数か月働くだけで生きていける生活を実践しているみたいです。

何もいらないから何もしない、というのは筋が通っていると思いますね。そもそも、俺たちの悩み事って何かを得ようして得られないことに起因していることが多いですから、彼らの生活はおそらく超絶ストレスフリーな生活なのではないでしょうか。

もちろん、そういった生活をして蓄積していくものというものはあまりないように思えるので、年月を経過による生活の向上というのはないのでしょうが、寝そべり族の仲間入りを果たした時点でそういったことは織り込み済みなのだと考えられます。

寝そべり族の価値観は習近平国家主席がスローガンとして掲げている「正能量(ポジティブな力)」と逆行するものです。ゆえに、中国共産党としては「けしからん奴ら」に見えるのでしょう。ただし、現代社会というのは俯瞰してみると一部の裕福な人々のために、そうではない人々が汗水を流して働いているという不毛な構造になっています。共産主義を掲げている中国でそれが起きているというのが何とも皮肉ですが、欧米の社会や日本でもその事実は変わらないでしょう。

逃れられない状況で長期的に不快な刺激にさらされた場合、はじめはその刺激から逃げようとしていた動物も次第に逃げようとするのをやめて、自らの置かれた状況を消極的に受け入れようとします。この現象は学習性無力感と名付けられて、広く知られています。厳しい競争社会にさらされ続けた人々が社会の上層部に上り詰めるという「かなわぬ夢」を捨てて、最低限の生活で満足しようとする。寝そべり族というのは、まさに学習的無力感的な動物の本能に基づく一種の防衛反応に見えます。

そもそも、中国の都市部のような過激な競争社会の中で「ポジティブなパワー」を発揮できるのは、もとから優秀な人間とか生まれがいい人間とかそういった類の人々なのです。もぐらにリンゴは取れませんからね。時間と労力を費やして挫折するよりも、はじめから何も求めずに何もしないほうが合理的です。

現代社会に敷衍する「夢を持たなきゃいけない」「豊かにならなきゃいけない」という強迫的な価値観は、それが実現できる人間にとっては有用なものですが、そうじゃない人にとってみれば残酷な価値観です。どんなに頑張っても認められなくて、苦しい。周りが楽々こなしていることが自分にはできない……。

成功した人はそういった人に対しても「頑張ればできるようになる!」と励ましとも追い込みともいえる言葉を投げかけるわけですが、大抵は状況をさらに悪くするだけです。いつかキャパシティーを超えて……崩壊。精神的にやられるか、肉体的な限界が来るかのどちらかです。

生活形態的には浮浪者すれすれの寝そべり族ですが、精神的にはかなり豊かな部類の生活をしているのかもしれません。近所の野良猫って毎日幸せそうですもんね。

プーさんが統治する中国では、「何もしないことをしている」プーさん的な若者が量産されているのでした。俺もあこがれるよ、そんな生活。