ヴィーガニズムに対するよくある3つの反論に対する反論

どうもshigoroxです。

自分はヴィーガンでも何でもないですし、「野菜とか果物しか食わん」運動の実践者ではないですが、ヴィーガニズムという考え方にはどちらかといえば親近感を抱いているほうです。いわゆる消極的賛成、という立場にいる感じでしょうか。

そのためにヴィーガニズムの理論がこれからどのような形で社会に反映されていくかに対して非常に関心があります。正直、2021年現在では「少数の裕福な連中が何か言ってら」という程度の社会的認知かと思いますが、培養肉や代用肉の生産技術の発展によって彼らの考え方が見直される時期は必ず来るでしょう。

もちろん、現在の社会で俺たちはお肉を食べたり、動物の体を使った衣類を着たり、動物実験の結果で安全性が保障された医薬品を使ったりしているわけですから、多くの人はヴィーガン的考えに潜在的に賛同できない部分があるはずです。俺だって肉食うわけですから、いくらヴィーガンに理解を示そうとしているといっても心のどこかでは「お前らの考えわかるけど、肉食いたいの」と思っているはずなのです。

その「でも、肉食いたいの」の理由がなぜなのかわからず、ネットでヴィーガンに対する反論を調べたりしていました。ただ、よく見かける「ヴィーガンに対する反論」というのはヴィーガンでも何でもない自分でも「そうじゃないだろ」と思えてしまうようなものが多かったので、ちょっとその主張に対する反論をしていきたいと思います。

前提:そもそもヴィーガニズムとは

反論する前にヴィーガンの考え方について、基礎的なことを共有しておきます。

Definition of veganism | The Vegan Society

ヴィーガンソサエティーというヴィーガン界隈では権威ある(?)団体さんの定義によるとヴィーガンの定義はこうです。

Veganism is a philosophy and way of living which seeks to exclude—as far as is possible and practicable—all forms of exploitation of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose; and by extension, promotes the development and use of animal-free alternatives for the benefit of animals, humans and the environment. In dietary terms it denotes the practice of dispensing with all products derived wholly or partly from animals.

 「ヴィーガニズムとは、動物に対する搾取や残酷なことをできるだけなくしていこうという考え方や生き方のことです。(動物に対する搾取や残酷なことの例として)食べることや衣服に使うこと、その他の利用などありますが、それらに対する代替手段の開発や使用促進を動物や環境のために行います。食に関していえば、動物そのもの、もしくはその一部を使用した製品を不要にすることの実践を意味します」

……英語できる方は、原文のほう読んでください。要するに「動物苦しめるの、よくないよ」という考え方です。その思想の実践の一環として「野菜オンリー」キャンペーンを行っているわけです。「野菜しか食べない人=ヴィーガン」というのは間違いで、「動物のために野菜しか食べん」人がヴィーガンのようです。多くのヴィーガン菜食主義者でしょうが、菜食主義者すべてがヴィーガンとは限りません。単にお肉の味が苦手/野菜のほうがおいしいからという理由で野菜しか食べない菜食主義の方もいるはずですから。

反論その1:米や野菜を生産するときにも、動物は殺されている。なので、野菜を食っているヴィーガンも結局、肉食の人々と同じじゃないか?

家畜は飼料を食べます。飼料は穀物を原料としています。その家畜の肉を食べる場合、家畜用の穀物が生産されなければいけません。当然ながら、家畜が食べた穀物すべてをエネルギーに変換して、かつその後エネルギーを消費せずに人間の食べる肉になることは不可能ですから、生産された穀物を人間が直接食べるよりも、穀物を食べる家畜を食べるほうがエネルギー効率が悪いわけです。

要するに、肉食は菜食に比べて多くの食べ物の生産が必要で、農作物を作る過程でも多くの動物が殺害されているのは事実ではあるものの、結局、多くの動物が犠牲になるのは肉食のほうなのです。その前提をもとに「できるかぎり(as far as is possible and practicable)」の範囲で菜食主義を選択しているというのがヴィーガンの立ち位置なのではないでしょうか。

まったく殺害していないなら無意味ではないか、という主張はそれ自体が無意味です。人間は呼吸の際にCO2を生産するのだから、CO2を減らそうという活動は偽善的だ、と言っているようなものです。

同様に医薬品の有効性の実験に動物が使われている事実に対しても「なくすことはできないが、減らすことは可能」という主張で偽善的だという反論を免れることができるでしょう。

そもそも、この反論は「動物の苦痛を減らす」という基本的な理念に関しては理解を示しているように思われるので、非ヴィーガニズムの人の意見というより、「一切の動物の苦痛をこの世から消し去らなければならない」というヴィーガニズム急進派が穏健派に対して行うような反論に見えます。

 

反論その2:古くから人間は肉を食ってきたし、自然界で肉食は普通に行われている。人間が肉を食うことは自然なことだ。

「人間は肉を食べてきた」、「人間の体は動物の肉を消化できる」、「自然界にはほかの動物の肉を食べる動物がいる」。これらは紛れもない事実です。

しかし、「人間は肉を食べる」という事実と「人間が肉を食べることはよいことだ」という価値は全く異なるものです。人は古来よりに殺人を繰り返してきたわけですが、殺人が善いこととは言い難いのは明らかです。「事実」と「価値」をつなぐ論理が飛躍しているのです。

このタイプの反論の裏に隠れているのは「自然であること=いいこと」という見えない議題です。「①人間が肉を食べるのは自然なこと」「②自然なことはよいことだ」「③だから人間が肉を食べるのはよいことだ」という論法になるのがこの反論の正しい姿です。

「②自然なことはよいことだ」という主張が崩れれば、この反論は反論の体をなさなくなります。人間にとっての自然がどのような状態を指すのかは議論が分かれるところかもしれませんが、人間は決して自然に従って生きてきたわけではありません。高層ビルが立ち並び、夜も人の明かりが絶えない現代都市を見て、「わぁ自然がいっぱい」と思うのは不自然です。俺たちは自然というよりか人工的な空間で生きているはずなのに、食に関する話題になると突然「自然なほうがいい」という価値観が出てくるのはおかしな話だと思います。

そもそも畜産を始めたのだって、自然に存在する野生動物を捕まえるよりも改良して増やしたほうが食料の供給が安定的に行えて効率的だからではないでしょうか? 肉を食べるのは自然なことかもしれませんが、肉の生産方法が自然なやり方で行われているとは言い難いでしょう。

もちろん、そういった営み自体"知性"という人間の自然に基づくものだという主張をすることができます。しかし、その主張を認めれば「ヴィーガニズム」という思想も自然なものの範疇に入ってしまうことになります(なぜなら、ヴィーガニズムは神のお告げによって突如現れたものではなく、自然に生まれた人間が自然に思い立った考え方だからです)。この場合、「人間が肉を食べることは必ずしも自然なことではない」という自然な考えが存在することによって「①人間が肉を食べるのは自然なこと」が否定されるわけですから、やはり論理が成り立たなくなります。

 

反論その3:肉を食わないことは不健康だ!

超急進派のヴィーガンであれば「不健康になろうがなるまいが肉食うな」というストロングスタイルを貫けるのでしょうが、さすがにそれは説得力がありませんし、万人に実践可能だとは思えません。

栄養学的な観点からは、意見が分かれるところのようです。動物性のタンパク質でしか摂取できない栄養があることは事実であり、サプリメント等で補えるという立場の人もいれば、直接摂取したほうがいいよという意見の人もいます。

難しいことは専門家に任せるとして、もし、「人は肉を食わないと不健康になる」が事実だとしましょう。その場合「必要最低限の肉を食べる」という解決方法を導き出すのが普通なんじゃないでしょうか。

反論その1ほど直接的ではないですが、結局この意見もオールオアナッシングなものに誘導しようという意図があるように思えます。

現代社会では廃棄される肉もありますし、「肉食偏重」により必要以上に肉が消費されているというのは歴とした事実です。ともすれば肉ばかり消費して生活習慣病を患っているような現代人が、「肉を食わないことは不健康だ」という大義名分で「だから、いくらでも肉を消費/生産してもよい」というような結論に至るのはいかがなものでしょうか。

β-カロテンが添加された「ゴールデンライス」という遺伝子組み換えのお米がありますが、そのような作物同様に動物から摂取できるアミノ酸が添加された穀物が生産された場合、彼らは「おめでとう、ヴィーガン。君たちを認めるよ」とにこにこ満足顔になるのでしょうか。これも疑問です。

ヴィーガンの中には徹底して肉を食べない人もいますし、それがヴィーガンの定義だという方もいます。しかし、「動物の苦痛を」「できるかぎり」減らすということを考えた場合、健康を害さない程度に肉食を減らすという手段を取ることは彼らの精神に違反しない範疇の行為に思えます。

 

ヴィーガンに対する有効な反論だと思えるもの

俺は「肉は食べたい」けど「動物の苦痛を減らすことには賛成」な立場です。統計があるわけではないですが、結局、多くの人がこの立場にいるのではないでしょうか。

ヴィーガンに対する致命的な反論というのは「動物の苦痛を減らす」ことに意味がないことを立証することですが、これって結構難しいです。

でも、「やっぱり肉食いたい」と思ってしまう以上、「動物が犠牲になっても俺はおいしいものが食べたい」というエゴがあるわけです。

そのエゴを否定しようとする感情が極端なヴィーガニズムであったり、あるいはヴィーガニズムに対するヒステリックな反感を生み出すのでしょう。

俺が見てきた反論の中で有効だと思ったのは、「てめーの考えはわかるが、俺に押し付けるな」理論です。要するに、ヴィーガンの意見は正しいし、その活動を止めるつもりはないが、できるなら俺の行動を制限しないでほしいという意見です。

ヴィーガン的には、「みんなでやることで意味があるんだよ!」的な合唱コンクールのノリで乗り切ろうとしているみたいですが、これは苦しい言わざるをえません。

殺人のような明確な他者に対する侵害行為であれば、「お前の行動を制限する」という介入行為が許されるとは思いますが、動物が苦しんでいる、という理由で「お前の行動を制限する」と言われてしまうと……それってそこまで重要なことなの? と思ってしまいます。「思ってしまう」ということが重要なことで、ヴィーガンが掲げる「搾取(exploitation)」「残虐性(cruelty)」も「搾取されてると思う」「残虐だと思う」という次元の話なので、結局自分の舌の上の快楽と牛豚がさらされている過酷な状況の主観的な苦痛度の対比がなければ、「俺はそうおもう」「私はそうおもわない」の水掛け論で乗り切れてしまうんじゃないでしょうか。

 

ヴィーガニズムの展望

とは言ったものの、自分は将来的にはヴィーガニズムは普及するだろうな、と思っています。

「お肉が食べたい」のは美味しいからであり、「動物を虐めたいから」ではありません。同じ値段、同じ味の「すげー痛めつけられて育った牛の肉」と「そうではない牛の肉」が売られていた場合、ほとんどの人は後者を選ぶでしょう。牛が苦痛を受けたという事実を喜ぶ人間はほぼサイコです。

であるから、代替肉や肉の培養技術が確立されれば、生の肉を選ぶ積極的な理由はなくなるわけです。もちろん、現時点の人工ミートは生産コストが高く、健康リスクについて十分な検証が行われていないという欠点がありますが、これは技術的な問題であって将来的には改善されることが予想されます。

加えて、人工肉、特に培養肉には工場で生産できるため生産高が管理しやすく、歩留まりがいいという利点があります。牛や豚などの家畜の場合、病原菌に感染することで、場内の家畜をすべて殺処分しなければならないことがありますが、培養肉ではそういった事態は小規模な範囲でしか起こりません。培養肉を生産する過程で糞尿の処理やブラッシングが必要だということはまずないでしょうから、管理コストがかかりません。現在の牛肉豚肉の値段には明らかに管理コストが含まれていてその分値段が上乗せされていますから、最終的に人工肉、培養肉は生の肉より値段が安くなることが予想されます。

残る懸念は味ですが、何とかなるんじゃないかと思います。「急に雑になったな、おい」。そんな突っ込みが聞こえてきそうです。何とかなると思います、しか言えないのが残念ですが、何とかなると思います。逆に、何とかならない理由も見つからないので何とかなるでしょう。

 

最後らへん、少し雑になってしまいましたが、以上が自分のヴィーガンに対する考察でした。

安価な肉の代用手段が開発されればヴィーガンが働きかけずとも自然と消費者は生肉以外の選択肢を取ると考えられるので、現段階では精神的にヴィーガニズムを訴えかけるよりも、実際の動物を使用しない動物性たんぱく質を生産する手段の開発を支援するほうがヴィーガニズムの実践としては効果的な方法だと考えます。